横浜地方裁判所 平成11年(ワ)192号 判決 1999年7月28日
原告
森健悦
被告
国
右代表者法務大臣
陣内孝雄
右指定代理人
小原一人
同
杉崎博
同
藤井弘之
同
佐野正美
同
川口信太郎
同
安井和彦
同
川上昌
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金四二九万三五〇〇円を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告が被告に対し、税務署署員が税務署の信用を利用して原告の無知につけ込み、理論のない理不尽な説明により原告を錯誤に陥らせ、本来事業所得であるのにこれを雑所得として修正申告させて納税させたのは詐欺行為であるとし、右修正申告により新たに納付した所得税、延滞税及び加算税並びに修正申告に伴い追加納付した市民税及び県民税合計四二九万三五〇〇円に相当する額の賠償を請求している事案である。
二 争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実(以下「争いのない事実等」という。)
1 原告は、平成七年分ないし九年分(以下「本件各年分」という。)の所得税の確定申告(以下「本件確定申告」という。)において、いわゆる白色の確定申告書によって、会社勤務による給与所得のほか画家及び絵画販売としての事業所得を申告していた(争いがない。)。
2 原告は、平成一〇年一二月八日、本件確定申告における画家及び絵画販売としての事業所得を雑所得とする本件各年分の所得税の修正申告(以下「本件修正申告」という。)を行い、同日、左記のとおりこれによって新たに納付すべきこととなった所得税、延滞税及び加算税(合計三二四万六〇〇〇円)を納付した(争いがない。)。
記
(一) 平成七年分
修正申告所得税 五三万七二〇〇円
延滞税 三万八六〇〇円
加算税 五万三〇〇〇円
(二) 平成八年分
修正申告所得税 一一二万八一〇〇円
延滞税 八万一七〇〇円
加算税 一一万二〇〇〇円
(三) 平成九年分
修正申告所得税 一一二万三六〇〇円
延滞税 五万九八〇〇円
加算税 一一万二〇〇〇円
3 被告は、本件修正申告に伴う都筑区役所からの市民税及び県民税の追加支払請求に応じ、平成八年度分二〇万一五〇〇円、平成九年度分四二万三一〇〇円、平成一〇年度分四二万二九〇〇円(以上合計一〇四万七五〇〇円)を納付した(甲第二号証の一ないし三)。
三 争点(緑税務署署員による不法行為の有無)
1 原告の主張
原告の画家及び絵画販売による所得は事業所得とみるべきものである。しかるに、緑税務署の署員は、税務署の信用を利用して原告の無知につけ込み、理論のない理不尽な説明により原告を錯誤に陥らせ、右所得を雑所得として修正申告させて納付させたものであり、極めて悪質重大な詐欺行為をはたらいたものである。
2 被告の反論
原告の画家及び絵画販売に係る所得を事業所得と認めることができないことは明らかであり、緑税務署の署員がこれと同旨の発言をして、原告に対し、本件確定申告に係る事業所得の損失を雑所得の損失とする修正申告のしょうようをしたことに何ら違法の点はない。
第三争点に対する判断
一 甲第三号証の一ないし六、第四号証の一ないし四、第七及び第八号証、乙第一ないし第七号証並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
1 緑税務署個人税第四部門伊藤フサ子上席国税調査官(以下「伊藤上席」という。)及び横須賀哲郎国税調査官(以下「横須賀調査官」という。)は、同部門勝又勇二統括国税調査官から、原告に対する調査命令を受け、平成一〇年一二月八日、原告の本件各年分の所得税の調査のため原告の自宅に臨場し、原告に対して調査への協力を依頼したところ、原告がこれを承諾したので、その自宅内で右調査を開始した。
2 調査に際し、伊藤上席及び横須賀調査官は(以下「伊藤上席ら」という。)、原告に対し、原告の本件各年分の所得税の確定申告書に記載されている給与所得に関しては勤務先での勤務の状況などについて、画家及び絵画販売に係る事業所得に関しては絵画や自費出版した画集の作成及び販売の状況などについて説明を求めるとともに、帳簿等の提示を求めたところ、以下の事実を認めた。
(一) 原告は、平成九年末まで、株式会社日本エアシステム(以下「エアシステム社」という。)にパイロットとして勤務していたが、会社と組合との取決めで、パイロットとしての拘束日数は月二〇日程度であった。原告は、エアシステム社から、本件各年分の給与及び賞与として、平成七年分として二九二三万七三九二円、平成八年分として二九〇八万三三七五円、平成九年分として二八七五万六四一二円の収入を得ていた。
なお、原告の扶養家族は、母、妻及び子供二人であった。
(二) 原告の本件各年分の確定申告書に記載された絵画に係る収入及び損失は、平成七年分は収入金額八万円、損失金額一三四万三〇九六円、平成八年分は収入金額九万円、損失金額二八二万〇四八四円、平成九年分は収入金額一〇万七〇〇〇円、損失金額二八一万九三五〇円であった。
(三) 原告は、平成八年に、画集五〇〇冊を二〇〇万円支出して自費出版したが、一冊当たりの原価四〇〇〇円に対し一冊一〇〇〇円で販売した。また、原告の平成八年分及び九年分の収支内訳書によれば、絵画及び画集の販売に係る収入金額は次のとおりであり、売上先は親類及び知人等であった。
売上先 平成八年分 平成九年分
<1> 森隆雄 二万円 三万円
<2> 半田ケイ子 二万円 三万円
<3> 大河原栄子 二万円 三万円
<4> その他 三万円 一万七〇〇〇円
(四) 原告は、収入・支出に係る帳簿を付けておらず、収入についての領収書の発行がなく、経費についても、領収書等をほとんど保存しておらず、事業所得の申告に係る収入金額及び支出金額の裏付けとなる記録は存在していなかった。
3 伊藤上席らは、原告の画家及び絵画販売について、右2#一ないし#四の事実を総合して勘案した結果、原告は画家として生計を支えているわけではなく、エアシステム社に勤務し、その給与収入により生計を維持していること、絵を描いたり画集を出版しているものの、それらは右勤務の余暇を利用して行われているにすぎず、売上は親類・知人等であり、不特定多数に広く向けられたものでないこと、連年赤字であり、画集を原価割れで販売するなど営利性がないなどとして、結局原告の画家及び絵画販売業といわれるものは、所得税法二七条一項に規定する事業所得を生ずる事業とはいえず、原告が本件各年分の所得税の確定申告書に記載した事業所得の金額は、事業所得ではなく同法三五条一項に規定する雑所得に該当すると判断した。
4 そこで、伊藤上席らは、原告に対し、右3の判断に基づき、原告が本件確定申告において事業所得の損失として申告した金額は、雑所得に係る損失金額となり、その場合には右損失金額を他の所得(原告の場合は給与所得)の金額から控除することができないから、それに応じて総所得金額及び納付すべき税額が増加することとなるため、申告所得金額等の是正が必要であることを説明し、併せて本件各年分の所得税についての修正申告のしょうようを行った。その際、伊藤上席らは、修正申告するかどうかは、税理士などの資格のある者に相談してから決定してもよいこと、修正申告がされなかった場合には、調査結果に基づき、更正処分を行うこととなること、更正処分を受けた場合には異議申立てができるが、原告の場合にはこれが認められる可能性は低いであろうこと、修正申告であっても更正処分であっても、過少申告加算税が賦課決定されることや延滞税を納付すべきことになることなどを説明した。
5 原告は、伊藤上席らの右説明を聞いて本件各年分の修正申告を行うことを決め、平成一〇年一二月八日、緑税務署に出向き、さらに同署で既に伊藤上席らから調査結果の報告を受けていた個人課税第四部門月川宏上席国税調査官から伊藤上席らからと同様の説明を聞き、修正申告を行うとともに争いのない事実等2のとおりの納付をした。
二1 所得税法二七条一項は、事業所得について、「事業所得とは、農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得(山林所得又は譲渡所得に該当するものを除く。)をいう。」と規定し、これを受けた同法施行令六三条は、事業の範囲を「一 農業、二 林業及び狩猟業、三 漁業及び水産養殖業、四 鉱業(土石採取業を含む。)、五 建設業、六 製造業、七 卸売業及び小売業(飲食店業及び料理店業を含む。)、八 金融業及び保険業、九 不動産業、一〇 運輸通信業(倉庫業を含む。)、一一 医療保健業、著述業その他のサービス業、一二 前各号に掲げるもののほか、対価を得て継続的に行う事業」と規定している。
2 所得税法三五条一項は、雑所得について、「雑所得とは、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、及び一時所得のいずれにも該当しない所得をいう。」と規定している。
3 事業所得とは、広く「事業」から生ずる所得を意味し、事業とは一応「営利を目的とする経済的行為であって、社会通念に照らして事業と見られるもの」ということができるが、具体的な所得が事業所得となるかどうかは、営利性・有償性の有無、継続性・反復性の有無のほか、自己の危険と計算による企画遂行性の有無、その行為に費やした精神的・肉体的労力の程度、人的・物的設備の有無、資金の調達方法、その経済的行為の目的、その行為をすることにより相当程度の期間継続して安定した収益を得られる可能性の有無、その者の職歴・社会的地位・生活状況などの客観的な諸要素を総合勘案して社会通念に照らして客観的に判断すべきものである。
三 そこで、本件についてみてみると、伊藤上席らが調査の際に認めた前記2の#一ないし#四の各事実は、前掲各証拠により十分認められるものであって事実誤認はなく、原告はパイロットとしてエアシステム社に勤務し、絵画はその余暇に描いているものであること、平成七年から九年まで、エアシステム社から年間二八七五万六四一二円ないし二九二三万七三九二円の給与収入を得ている一方、画家及び絵画販売による収入は年間八万円ないし一〇万七〇〇〇円と少額であって、絵画制作資金の調達や原告及びその家族の生計はエアシステム社からの給与収入によって立てられていること、また、画家及び絵画販売による収入が右のとおり少額であるのに、損失は年間一三四万三〇九六円ないし二八二万〇四八四円にものぼること(画集の原価が一冊四〇〇〇円であるのに、一冊一〇〇〇円で原価割れで販売するなどしている。)、収入・支出に係る帳簿を付けておらず、収入についての領収書の発行もせず、経費についての領収書等もほとんど保存していないことなどに鑑みると、前記事業所得に当たるかどうかの判断基準に照らし、伊藤上席らが原告の画家及び絵画販売に係る所得が事業所得ではなく雑所得に当たるものと判断したことには合理性がある。
さらに、前認定のとおり、伊藤上席らは原告に対し、修正申告するかどうかは、税理士などの資格のある者に相談してから決定してもよいこと、修正申告がされなかった場合には、調査結果に基づき、更正処分を行うこととなるが、更正処分を受けた場合には異議申立てができる旨教示しており、原告が主張する緑税務署の署員が、税務署の信用を利用して原告の無知につけ込み、理論のない理不尽な説明により原告を錯誤に陥らせ、本来事業所得であるものを雑所得として修正申告させて納税させたという悪質重大な詐欺行為をはたらいたとの事実は認めがたい。
四 よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 志田博文)